第4話 静心書学会の書 岩井笙韻

客観性そのものを語る前に、私たちの手本を少し客観的に見ておきましょうね。

 静心書学会の書を語ると言うことは、とりもなおさず、父、岩井韻亭の書を語ることになります。その後で、私や弟(秀樹)の書と言うことになるのですが、息子である私たちはまだとてもとても、発展途上と言うことで、その書についてどうのこうのと言うまでいっていません。
 だから、まず、会員の皆さんも父の書からどんなものを学んでいるのか、それを言葉にしたらどうなるのかを確認していただきたいと思うのです。
 単刀直入に言えば、岩井韻亭の書とは、『姿の良い書』ではないでしょうか。奇をてらったものはなく、非常に基本に忠実な<姿>を持っているのです。
 それは師、青山杉雨先生の姿の良さとは又別のもので(確かに青山先生のある面を継承していることは間違いないのですが)、又その前の師、若海芳舟先生とは全く別のものです。
 これは独特の空間感覚から来るものと思っています。
 私は小さい頃、よく父に、絵を描いてもらいました。初めは電車、飛行機など、ありがちなものが多かったのですが、そのうちにつまらなくなってきて、三輪車描いてとか、虎を描いてとか、幼いながらもなかなか難しいと思われるような注文をしました。ところが、どんな注文をしてもすぐに何でも描いてしまうのです。その書かれたものは幼心にもとてもうまいものに見えました。
 今、三輪車を描こうとしても、どこがどうなっているのかよく分からなくなってしまいます。それをいとも簡単に描いてしまうのはやはり空間感覚が優れていると言うことではないでしょうか。実際、父は小さい時は絵描きになろうと思ったこともあったようです。

 又、広い空間を視覚に納めることも得意なようで、実際にあったことですが、審査の時に、50人の審査員の中で何人が手を挙げたかを一瞬で数えることが出来ているようでした。
 又、こんな事もありました。これも私が小学生の頃でしたが、父が頼まれて、名刺に、実物大の文字で名前を書いていました。「よくそんな小さな所に、曲がらないで字が書けるね。」と言うと、父は、「何も書いていない名刺をじっと見ていると、書くべきところが白く浮かんで見えるからそこに字を置いていけばいい。」と言っていました。
 これらのことを総合してみると、父の書は、文字、文字列、それを取り囲む空間、それらの全てのものへの敏感な配慮から来る書のように思います。
 まず、その事を端的に表しているのは楷書でしょう。私の見たところでは、父は淡々と書く楷書の名人です。そして、父の持論は


「一つの書体に傑出しているものは他の書体にも傑出している。」


と言うこと。確かに、楷書はもとより、行書、草書、隷書、調和隊に至るまで、姿の良さは変わりません。
 しかし、私は、そうでないことも多いと思うのです。つまり、ある書体に特に傑出している書家というものも多いのではないでしょうか。だから、父がそのように思うと言うことは、書を空間感覚によって捕らえているからに他なりません。空間感覚で捉えたら、書体による別はないも同然なのです。
 と言うことは、書を学ぶものが手本にするにはこれほど恰好のものはないのではないかと思います。
   しかし、私がこのように思えるようになるには時間がかかりました。姿が良いと言うことは、アクは少ないのです。ですから、中学生、高校生の頃展覧会に行ってみると、もっと強い個性の作品の方に惹かれてしまったことを覚えています。しかし、その後、長い間にわたって多くの作品を見続けてみると、下手をすると、個性に見えるものは一過性のものかも知れない、と思うようになったのです。 実は、矛盾するようなことを言うようですが、父の行草は結構個性があります。何しろ、一目見たらそれが父の作品であることが分かるのですから。ただ、手本として模倣しにくいというものではない(いくつかのポイントがあってそれを理解したら案外似て来ます。それはただでは教えません。)。又、応用範囲は広いものです。この応用範囲が広いと言うことは、手本としての優位を示しています。書を学ぶものは、ただ人まねをするために学んでいるわけではなく、自分なりの字を書きたいと言うところに収斂するものだからです。 静心書学会で書を学ぶ方は、なんと言っても、この父の持つ空間感覚を身につけてください。
 勿論、まだ課題はあるのです。そして、それは次の代の私たちの課題だと思います。
 加えて、これは、静心書学会が続く限り忘れてはいけないことだと思うし、伝統にしたいことの一つなのですが、それは、<文字を大切にする>と言うことです。
 文字を大切にすることに関しては、やはり父は優れていると思います。それは、父が書くところを見たらよく分かると思います。書を慈しむと言うよりは文字を慈しむと言った方が適切な何かです。およそ、文字を自分の下に置くという態度とは正反対のものです。さあ、このあたりをヒントにして、又目を新にしながら書を学んでください。